雑記録

私が猫と戯れているとき、ひょっとすると猫のほうが、私を相手に遊んでいるのではなかろうか

プーランクの二面性

フランシス・プーランク(1899~1963)というフランスのクラシック音楽の作曲家をご存知だろうか。20世紀前半に活躍した「フランス6人組」の一人でパリのブルジョワの家に生まれた生粋のパリジャンである。軽妙洒脱でエスプリに富んだメロディが特徴的だ。1949年に作曲されたピアノ協奏曲は特に彼らしさが発揮されていて、モノクロ映画の時代のパリの雰囲気を味わう事が出来る。以下のリンクの演奏はジェームズ・コンロン指揮、ピアノがフランソワ=ルネ・デュシャーブル、ロッテルダムフィルハーモニー管弦楽団によるものである。

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ところがこういった都会的な時に俗っぽい音楽の他に、プーランクは宗教的な色彩が濃い厳粛な曲も書いていて、その二面性が彼の魅力となっている。特に無伴奏の宗教合唱曲が優れており、現代の合唱曲にも影響を与えている。私はどちらかといえば真面目な方のプーランクの曲が好きだ。以下、特に好きな「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲ト短調」について紹介する。演奏者は動画のサムネイルの表示の通りである。

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この曲は彼のパトロンであったポリニャック公夫人ウィナレッタ・シンガーの依頼を受けて彼女自身のオルガンの演奏によって彼女のサロンで奏される為に作られたものである。この曲がその目的の割には厳粛な雰囲気であるのは作曲の最中の1936年に友人の作曲家クリスチャン・ベラールが事故によって亡くなり、この出来事を契機にフランス南西部にある「黒衣の聖母像」で知られるロカマドゥールへ巡礼するなどカトリックへの傾斜を深めた為である。宗教合唱曲もこの出来事以後に作曲されている。

プーランクはオルガン曲を書くのはこの曲が初めてで、書法を学ぶにあたって大バッハやブクステフーデといったバロック期のドイツの作曲家の曲を参考としたようで、その影響を確かに聴き取る事が出来る。しかし構成は即興的な要素が強く、所々優雅なメロディが顔を覗かせるなど、やはりどう聴いてもプーランクの曲だ。彼の「真面目」な曲は内省的で深刻ながらも、旋律は幾分かの軽やかさを漂わせておりそれが独特の透明感を生み出している。パリの享楽的な社交界とカトリシズムの静謐な信仰の境地。対極的なこの2つの世界を表現するプーランクの曲に私は人間の経験の可能性の一つの極致を見るのである。

また「真面目」な曲には世俗合唱曲の「雪の夜」や「人間の顔」といった第二次世界大戦時のナチスによる占領下のパリでレジスタンス活動を支援するために作曲されたものも存在する。特に「人間の顔」の終曲「自由」はシュールレアリストの詩人ポール・エリュアールの同名の詩に曲を付けたもので、この詩はフランスでは義務教育の過程で必ず扱われるものであるようだ。非常に危機的な状況の中でこの曲が秘密裏にレジスタンスの活動家によって歌われていたのである。プーランクはそのような時代の証人でもあった。

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W.G.Sebald

W.G.ゼーバルトという作家をご存知だろうか。1944年に生まれてノーベル賞候補と目されながら2001年に自動車事故によって不慮の死を遂げた作家である。構築されたきめ細やかな文体の持ち主だ。白水社が翻訳で著作集を出版している。彼の小説には様々な図や絵画や写真が添付されており、即ち彼の小説は人々の記憶やアイデンティティに関するもので、それは単なる自分史ではなく、例えば第二次大戦のような人々を引き裂く社会情勢の中で何が失われ何が痕跡として残ったかを問うような、社会的なものである。

小説のような紀行文のような随筆のような、捉えがたい息の長い散文が様々な人々のエピソードを綴ってゆく。多重に設けられた間接話法が登場し、記憶が記憶を呼び、時間と空間の迷路に迷い込んだような感覚に襲われる。その迷路は廃墟にも似ていて、彼の作品は迫害され打ち捨てられたものを大切に掬い上げてゆく過程が描かれていると言ってもいい。細部まで描写された逸話の連鎖に、読んでいてどういう事だろうと思うかもしれないのだが、ゼーバルトが志向したのはそのような微小な出来事の連鎖によって全体的な歴史が進行してゆくのであってそのエピソードを語り直す事によって歴史の意味を問う、という事である。

ゼーバルトは小説だけでなく評論やエッセイも書いているのだが、彼が取り上げた作家はほぼ全員時流に取り残されたアウトサイダーで不幸な人生を送り、孤独な中書く事に取り憑かれたように作品を残していった人々であった。そのような人々だからこそ、彼らの生きた時代がどのようなものであったのかを偏りなく眺めることができたという事だろうか。そういう訳で彼の文章にはどこを読んでも暗然とした調子があるのであるが、しかし暗かったのはゼーバルトではなく歴史の方であった。おすすめは、何をおいても遺作となった『アウステルリッツ』である。彼の小説の例によってあらすじは説明しにくく、その説明の意味もほぼ無いのだが、アントワープで出会った建築史家のアウステルリッツ(人名)の半生を辿ってゆく中で第二次大戦の記憶が浮かび上がってゆく、というものである。アウステルリッツの記憶は時代に翻弄された人々の記憶が再構成されたもので、歴史と個人の関係がそこからまざまざと映しだされるのだ。まさに傑作である。こういった作家を読むのもいかがだろうか。

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